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「政治に自分の意見を反映させるにはどうする?」 と日米の子供たちに聞いたところ、 米国の子供たちは「大統領に手紙をだす」と大半が答え、 日本の子供たちは「何もしない。どうせ変わらないから。」と答えたそうです。 私たち大人の言動が鏡になっているのでしょうね。 政権のチェンジを冷ややかに見ていたつもりで翌日新聞を開いて、吃驚!! 新聞小説「親鸞」がいつのまにか「氷山の南」に変わっています。 8月31日は政治欄に釘付けだったのでしょうね。確かに「完」となっています。 あまりにも唐突な終わり方!! そう思われませんか? 五木寛之の身に何事かあったのでしょうか? 西日本新聞の紹介でも、 「たとえ騙されて地獄に落ちても後悔しない」と言うほどに信じ抜いた師だったが、やがて専修念仏弾圧の中でともに流罪を課せられ、師は四国へ、自らは越後(新潟県)へ流された。このころ、親鸞は僧侶でありながら結婚し、越後では僧籍をはく奪され、一般の人々と同じ暮らしを営み始めた。生涯に子も複数もうけている。 42歳で赦免された。しかし、法然の死を知った親鸞は京都に戻らず、布教のために関東へ向かい、そこでの暮らしは20年に及んだ。60歳を過ぎたころ、親鸞はようやく京都へ帰る。 故郷に戻った親鸞は、弟の庵などを転々とし、質素な生活の中で「他力」の信仰を深め、精力的に執筆を行った。そして、90歳で生涯を閉じた。 とあります。流罪後~晩年も描いてくれるものと、またまたシニアが思い込んでおりました。 朝起きる楽しみがひとつ減りました・・・
「たとえ騙されて地獄に落ちても後悔しない」と言うほどに信じ抜いた師だったが、やがて専修念仏弾圧の中でともに流罪を課せられ、師は四国へ、自らは越後(新潟県)へ流された。このころ、親鸞は僧侶でありながら結婚し、越後では僧籍をはく奪され、一般の人々と同じ暮らしを営み始めた。生涯に子も複数もうけている。 42歳で赦免された。しかし、法然の死を知った親鸞は京都に戻らず、布教のために関東へ向かい、そこでの暮らしは20年に及んだ。60歳を過ぎたころ、親鸞はようやく京都へ帰る。 故郷に戻った親鸞は、弟の庵などを転々とし、質素な生活の中で「他力」の信仰を深め、精力的に執筆を行った。そして、90歳で生涯を閉じた。
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